山岳遭難・山岳事故 備忘録

過去の山岳事故・遭難の取りまとめBLOG

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。



[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | TB(-) | CM(-)

吾妻連峰 遭難13日間後、生還

 1月13日6時12分配信 河北新報
 昨年12月30日に山形県米沢市天元台から吾妻連峰に縦走登山に入って遭難し、
 11日に福島県側に無事下山した埼玉県羽生市、会社員中村雅之さん(55)が12日、
 収容先の会津若松市の病院で記者会見し、「母親のことばかり思っていた」と遭難中の心境を語った。

 中村さんは登山歴25年。単独行で毎週のように登っていた。今回のルートは同時期だけでも5回目。
 3泊4日、約50キロの縦走ルートは熟知しているつもりだった。
 「天元台スキー場から入山する際、リフトの係員が『もうすぐ荒れるぞ』と言った。
 あの時、やめておくべきだった」と中村さん。「前日まで雪があまり降っていなかったこともあるが、長く山をやって生意気になっていた」と悔やんだ。
 迷ったことを自覚した入山6日目には既に食料も燃料も尽きていた。
 「寝袋はびしょぬれで使えない。テントと下に敷くマットだけ残して持ち物は全部捨てた」
 連日の吹雪。視界は20メートルほど。「現在地が分からなくなった。
 進んでいるのか、戻っているのかも。尾根も沢も突っ切って歩いた。2回、がけから落ちた」
 頭に浮かんだのは北海道に住む母親(75)のこと。「少しの仕送りしかしていないが、自分が先には死ねない」。
 雪を食べ、携行していた塩をなめてしのいだ。
 ぬれた手袋と靴下を服の中で暖めて乾かしては、ぬれたものと替えて身に着けた。
 もともと小食で、3日間の山歩きをおにぎり2、3個で済ませたこともあり、今回も「あと2日ぐらいは大丈夫だった」と語った。
 両足のつま先の軽い凍傷以外に目立ったけがはなく、12日朝から食事も取り始めた。
 冬山では前例のない長期間の遭難で生還できた要因について、収容先の会津中央病院の山本修三医師は「体力がある上、水と塩分を摂取できていたことが大きい」と指摘した。
 中村さんは「自分を過信した、ただの恥さらし。正月早々、たくさんの人に迷惑を掛け申し訳ない」と頭を下げた。

スポンサーサイト



[ 2007/12/30 00:00 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。