山岳遭難・山岳事故 備忘録

過去の山岳事故・遭難の取りまとめBLOG

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早稲田大学山岳部遭難事故

早大生3人、遺体で発見 OBら、月明下の捜索 北アルプス剱岳遭難
1994.02.25 朝日新聞東京夕刊 
 富山県の北アルプス・剱岳(標高二、九九八メートル)で消息を絶っている
早稲田大学山岳部員を捜索していた同県警山岳警備隊と同大山岳部OBによる救助隊は
二十四日午後十一時ごろ、一服剱(同二、六一八メートル)と剱御前(同二、七七六メートル)の中間にあるクロユリノコル付近の東側斜面で、
死亡していた一人のほか二人の遺体を発見した。いずれも凍死とみられる。
捜索はいったん中断されたが、同夜OBたちが隊員と協力、月明かりの中で捜索を再開した。
同警備隊は二十五日、遺体をヘリで収容する予定で、クロユリノコル付近に
臨時のヘリポートをつくった。しかし、悪天候のため難航、自衛隊にもヘリの出動を要請した。
 死亡が確認されたのは商学部四年饗庭寛さん(二三)=東京都中野区***丁目=のほか、
法学部四年目片肇さん(二三)=同武蔵野市****丁目=、同学部二年河津豪さん(二〇)=同三鷹市****丁目。
 同警備隊によると、救助隊は月明かりを頼りに二十四日午後十一時前、
現場近くの剣山荘を出発。クロユリノコルから四百メートル剱御前寄りのりょう線
東側五十メートル下の雪上で仰向けになった饗庭さんを発見した。
そこから約五メートル下に掘ってあった雪洞の中から目片さんと河津さんの遺体を次々に見つけた。
二人はひざを抱えて座るようにして死亡していた。
現場周辺には緑色の簡易テントやリュックサック、ザイルなどが散乱していたという。
 同夜は、満月に近く、一帯は新雪に覆われていたため、かなり明るく視界がよかったようだ。
 同県警航空隊のヘリコプターは二十五日午前九時、遺体収容のため富山空港を離陸した。
しかし、同九時四十四分、厚い雲のため視界が悪く、いったん引き返し、
天候が回復次第、現場に向かう。
 二十一日夜から四人の消息が途絶えていたが、同大商学部三年藤井陽太郎さん(二一)は二十四日午後、
自力で別山乗越のベースキャンプに生還している。
 藤井さんによると、四人は二十一日夜、現場付近で簡易テントを張りビバーク(緊急露営)した。
だが、風が強く二張りのうち一張りが破れ、小さな一張りに四人が入ったため、
体が外に出て零下二〇度近いなかで寒さを防ぎ切れなかった。
二十二日朝、饗庭さんが死亡、藤井さんが雪洞を掘って目片、河津さんを入れたが、
すでにかなり衰弱していたという。
 四人が遭難した二十一日以降、強い冬型の気圧配置で、スコップや着替え下着などを持っていたが、
風雪で食料が入ったリュックサックが飛ばされるなど、厳しい気象条件に対応出来なかった。
山岳関係者によると、雪洞を早くから掘っていれば、悲劇は避けられた可能性が大きいという。
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[ 1994/02/25 00:00 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)


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