山岳遭難・山岳事故 備忘録

過去の山岳事故・遭難の取りまとめBLOG

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丹沢山 つるべ落し 遭難 慶応高校山岳部

神奈川県の丹沢で慶応高校山岳部の3人が遭難し、うち1人だけが尊仏小屋へたどりついて救出されている。残りの2人は抱き合ったままで11月30日午前0時50分、遭難現場の丹沢山北方500mのつるべ落しと呼ばれるたるみで発見された。遭難死した高校生のうち1人の方は兄が7月28日午後3時に北アの涸沢槍で転倒死したばかりだった。
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[ 1954/11/28 18:11 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

富士山 吉田口7合目 雪崩 日大、東大、慶大山岳部

1954(昭和29)年 吉田大沢で大規模な雪崩による大量遭難。日大、東大、慶大山岳部の40人が訓練中に雪崩に巻き込まれ15人が死亡した。南岸低気圧。【11月28日】

■富士山雪崩で15人死亡
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昭和29年11月28日午前10時40分、富士山の吉田口7合目で幅300mの雪崩が起きて、6合目から7合目の間で東大、日大、慶応大、一般の登山客ら60人のうち40人が巻き込まれた。いずれも1000から1500m流されたが1人が死亡、14人が2尺(61cm)の新雪の中から出て来ないまま不明となった。この遭難した15人は東大生5人、慶大生2人、日大生8人だった。5合目の佐藤小屋から救援隊が出たものの捜索は難航した。富士山では明治元年に山頂で16人が遭難死して以来の被害の事故だった。
 
助かった日大山岳部リーダーによれば、8合目まで登ったものの風雪が強かったために引き返したのだが、7合目のあたりで上から雪塊が押寄せ「やられた」と思ったという。また東大山岳部のリーダーはラッセルが深く、吹雪が強かったが、メンバーがベテランばかりなので楽と思っていた。しかしトップの1人が転落してすぐに音のない雪崩が押寄せたという。意識が戻ったのは1500mも流された後の雪の中だったが無事に這い出す事が出来た。また別な東大生は雪崩の際に雪の上になって助かり、日大の25歳OBは雪にずるずる流されているうちは楽だったが出ようとするとすごい圧力で苦しくなり、泳ぐように雪をかいて外へ出たという。



[ 1954/11/28 18:27 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)


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